FROM:山端基靖
私は、ある程度大きくなって以降、両親に何かを教わった記憶がほとんどありません。
勉強を教わった記憶がありませんし、家庭学習したこともほとんどありません。
というより、家庭学習のやり方が分かりませんでした。
両親共働きで、私は小学生から野球をやっていたのもあり、両親と関わる時間があまりありませんでした。
〇前日のうちに学校の準備をする
〇部屋の掃除や整理整頓をする
〇定期的に布団のシーツを洗う
などについて、何も知らないままでした。
学校では、忘れ物をしたり遅刻をしたりだらしなかったりで、先生によくご迷惑をかけていました。
中学生になると、放任されているのをいいことに、好き勝手やるようになりました。
高校生の頃も、好き勝手な生活をして、家に帰らない日が多くありました。
その後、社会人になって、すごく苦労しました。
あまりにも常識がないので、周りの人にとっては当たり前のことも、いちいち身に付けなくてはいけませんでした。
足し算ができないのに方程式や図形の面積を求めるような感覚です。
ですが不思議と、借金をしたり警察にお世話になったりすることはありませんでした。
職場の人間関係で悩むこともありませんでした。
今では、人様のお悩みをお受けする仕事をさせていただいています。
どうして、あんなに非常識だった自分が、今まで何とかやってこれたのか?
どうして今ではカウンセラーをしているのか?
私の中で、その答えは明らかです。
何かというと、私の父が、祖父の話を聞かせてくれていたからです。
どういうことかというと、、、
私は北海道育ちで、祖父は青森県民でした。
海を挟んでいることもあり、祖父には年に1、2回お会いする程度でした。
しかも、祖父は訛(なま)りがすごくて、話を聞き取れませんでした。
地元の人ですら、
「あんたのおじいちゃんの話は7割くらいしか聞き取れなかった」
と言うほどでした。
祖父が戦争に行った時の話など、昔話をいろいろ聞きたかったのですが、直接お聞きすることはできませんでした。
ですが、父がたびたび、祖父のことをいろいろ話してくれました。
たとえば、こんなかんじです↓
「俺が子供の頃は道が舗装されてなかったからガタガタだった。
休みの日になると、一輪車にジャリを積んだ親父に連れられて、スコップを持って、近所のデコボコ道にジャリを入れて平らにするのを手伝わされた。
当時は、遊びに行きたいから嫌々手伝ってた。
でも今思うと、親父はそうやって子供に徳を積ませてくれたんだなぁと思う」
こんなかんじで、祖父の生き方や苦労についていろいろ話してくれました。
そういうのが積み重なり、気づいた時には、祖父のことをすごく尊敬していました。
「祖父の頑張りに泥を塗るようなことをしちゃいけない」と思うようになりました。
甘い誘惑や危ない誘いがあったり、すごく腹の立つことがあったりしても、祖父への思いが、私にブレーキをかけてくれました。
その思いが、「人様のために何かできないか?」と思わせてくれました。
父は、祖父を芯(しん)から尊敬していました。
そうでなければ、祖父のことを話してくれていなかったと思います。
そして、父が祖父を尊敬していなければ、私が祖父や親を尊敬することはありませんでした。
今幸せでいることもなかったと思います。
それどころか、幸せとは正反対の道にはまっていたことうけあいです。
最近では、「父の親に対する思いが子供に流れていったんだろうな」とつくづく実感しています。
親を芯から尊敬して親の思いを汲めるようになると、子供が悪い道にはまることはないのかもしれません。
私自身まだまだ未熟ですが、実体験を通して思ったことをお話しさせていただきました。
何かのご参考になれば幸いです。
ではまた。
追伸
放任家庭で非常識に育ちましたが、かといって、親を悪く思うことはありません。
放任してはいても、産み育てて養ってもらっていたわけですし。
親は親なりに、その時々で最善の選択をして頑張ってくれたのだと思います。
しかも、私の性格上、親にはいろいろ嫌な思いもさせてきたと思います。
そもそも、親がなければ自分はいませんし、批判する理由はありませんよね。
山端基靖
※このブログは、家庭力アップメルマガの内容を転載したものです